雨の日の魯山人

朝から雨降り。普段ならがっかりの休日だが、疲れ気味の心身を休めるには丁度良い恵みの雨かもしれない。

それでも片付けごとで早朝は圃場に。午前中もすこし息を抜きつつ、片付け仕事をボチボチ。完全に休んでしまうと明日以降がかなり大変になるしね。

午後、嫁サンがいただいた(当たった?)という足立美術館のチケットがそろそろ期限だというので、何年ぶりかに足を運ぶことにした。以前は誰か県外の方を案内してきたんだっけ?

月曜日なので、観光客もそれほど多くない。程よい入館者数でゆっくりと庭を眺める。雨の新緑の日本庭園もいいものだ。強い雨の中作業しておられる庭師さん、ご苦労様です。

庭をざっと楽しんだら、美術品コーナーへ。日本画には(洋画もだが)あまり明るくないので、時々面白そうな絵が目を惹く程度。気に入ったのは展示物よりも、器の展示コーナーにあった魯山人の言葉。

特に

「画でも、字でも、茶事でも、雅事でも、遊んでよいことにまで、世間は働いている。

何でもよいから、自分の仕事に遊ぶ人が出てこないものかと、私は待望している。

政治でも、実業でも、遊ぶ心があって、余裕があると思うのである。」

というところが妙に惹かれた。忙しすぎる今の自分に反省である。

そのあと、現代の日本画を展示する新館に入ったが、こちらは本当に入館者もまばら。どちらかというと現代の日本画の方が見ていて楽しめるものが多かった。ただ、とにかくサイズが大きい上に数もすごい。前半にも加えてもう満腹状態である。

腹ごなし?に温泉に。本当はさぎの湯荘に行きたかったのだが、ちょうど時間がずれていて涙を呑む。仕方なく近くの別の施設へ。なぜか老人がものすごく多い。あまりゆっくりできなかった。ただ、収穫がひとつ。7月に行われる米朝一門会のパンフを見つけたこと。日程的に厳しいがなんとか時間を作って足を運びたい。魯山人の言葉に倣って。

米朝一門会

さらに天野紺屋さんにも寄りたかったのだが、時間的にもう遅かったので家路につく。

さぎの湯荘と天野紺屋はまたの機会のリベンジにとっておこう。