終戦の日の電車

曇り。早朝からビニールハウスで苗の水やり。昨日カラカラだったので、不足しているところに追加で。

合わせて今まで夏仕様にしていた苗の移動。

5時半からスタートして全て水やりが終わったのが8時半だった。

簡単な朝食をとってしばらくしてからバスで駅へ。乗り継いで松江温泉駅。バタデンで平田に向かう。車で行くのも疲れてしまったし、嫁サンの車もあるので問題無い。

久しぶりのバタデン。観光客や家族連れなど様々な人がいる。と言っても席はゆったり。パラパラと雨も降る。

11時過ぎに平田駅到着。

12時前の生活バスに乗る予定だったが、乗る寸前になってクロネコから連絡が入る…

原因は自分なのだが、10日以降に発行して渡すと約束していた再発行伝票をすっかり忘れていた。今日中に渡さないと色々不都合があるので急遽松江に戻らざるを得無くなった。車で来ていない時に限ってこうだ。

仕方なく、近くのコンビニでおにぎりを買い、松江に戻る電車を待つ。

雲州平田駅
次の発車時刻は乗り場表示の横の取っ手をクルクル回して変えられる。アナログで良い。

ずいぶん待って乗った電車でウトウト。帰りは速く、12時40分発で家に着いたのか2時だったが、帰り着いてもうやれやれという感じだった。

伝票を作って、クロネコに持って行き、結局車で平田へ。

夜、義父から終戦当日の話を聞く。当時19歳。子供の今の年齢と同じ。光市の海軍工廠にいて、爆撃にも会い壮絶な光景を見たという。消防に所属していて偶然難を逃れたそうだ。8月末の復員列車で帰省できたという。その時でも立錐の余地が無かったとか。

隔世の感とはこのことだが、伝票一枚のために電車で往復する時代となったが、これでよかったのだろうか。往復できる時代をありがたく思えばいいのだろうか。