鼻高山に登る

晴れ。

薄曇りだが、決して悪くない天気。今日こそは山へ登ろうと朝から誓う。

とはいえ、それなりに片付けないといけない仕事があり、これを終わらせないことには安心して出かけられない。

結局、早朝に圃場へ行き、戻って片付けと不足商品の発送、片付けなどをしたらすでに10時近くになっていた。

冬の間からどちらに行くか迷っていた、出雲の鼻高山と、奥出雲方面の山だが、迷いに迷った末、鼻高山に決定。

スタート地点も幾つか考えられるのだが、まずは近くまで行こうと出発する。途中色々考えつつ、尾根を超えるルートにしようと思いたつ。

まずは降り口を一畑電鉄の高浜駅の近くのキャンプ場に決める。そこで、車が駐車できる川跡駅に行き、車を置いて雲州平田駅まで電車で行く。

ここからバスで鰐淵寺へ。スタートは鰐淵寺だ。この時点ですでに12時半だった。

ゆっくりと登り始め、気持ちの良い坂道を上っていく。陰なのだが、風が弱くてすぐに汗が吹き出る。ルートを楽しもうと思いつつも、ついつい先を急いでしまう。害獣駆除のため、気をつけろという看板。念のため鈴を持ってきておいてよかった。

30分ほどで伊努谷峠に着く。ここからは縦走。

新緑の中とても気持ちがいい。一箇所強い坂があったが、なんとかパス。しばらく歩くと出雲北山の最高峰鼻高山だ。何度か休憩を入れて、結局1時間ちょっとでついた。ここまで誰にもあわなかった。

背負ってきたチェアに座り空を眺める。最高。これがやりたくて、GWもほとんど休まずに頑張ったのだ。いまどき、チェアリングというそうな。どうでもいいけど。

ラーメンを茹でてお昼を食べ、ハチやチョウが舞うのを眺めながらウトウト。斐伊川が下にゆっくりと流れる。

西を見ると遠くに三瓶山も見える。

2時間も頂上でゆっくり。風もほどほどで、松の木陰が気持ちよかったせいもある。この間、上ってきたのはたった二人。トレイルランのお兄さんと、初老の登山者のみ。二人とも5分も頂上にいなかった。忙しいというか、それが楽しいのやらという気分だ。

帰りはかなりきつい下り。40分ほどでキャンプ場に降りたが、かなり膝に来た。その後、駅までもずいぶん遠く感じられた。高浜駅からは隣の駅なのであっという間。

帰る途中、温泉で足のケア。とても気持ちが良い。

終戦の日の電車

曇り。早朝からビニールハウスで苗の水やり。昨日カラカラだったので、不足しているところに追加で。

合わせて今まで夏仕様にしていた苗の移動。

5時半からスタートして全て水やりが終わったのが8時半だった。

簡単な朝食をとってしばらくしてからバスで駅へ。乗り継いで松江温泉駅。バタデンで平田に向かう。車で行くのも疲れてしまったし、嫁サンの車もあるので問題無い。

久しぶりのバタデン。観光客や家族連れなど様々な人がいる。と言っても席はゆったり。パラパラと雨も降る。

11時過ぎに平田駅到着。

12時前の生活バスに乗る予定だったが、乗る寸前になってクロネコから連絡が入る…

原因は自分なのだが、10日以降に発行して渡すと約束していた再発行伝票をすっかり忘れていた。今日中に渡さないと色々不都合があるので急遽松江に戻らざるを得無くなった。車で来ていない時に限ってこうだ。

仕方なく、近くのコンビニでおにぎりを買い、松江に戻る電車を待つ。

雲州平田駅
次の発車時刻は乗り場表示の横の取っ手をクルクル回して変えられる。アナログで良い。

ずいぶん待って乗った電車でウトウト。帰りは速く、12時40分発で家に着いたのか2時だったが、帰り着いてもうやれやれという感じだった。

伝票を作って、クロネコに持って行き、結局車で平田へ。

夜、義父から終戦当日の話を聞く。当時19歳。子供の今の年齢と同じ。光市の海軍工廠にいて、爆撃にも会い壮絶な光景を見たという。消防に所属していて偶然難を逃れたそうだ。8月末の復員列車で帰省できたという。その時でも立錐の余地が無かったとか。

隔世の感とはこのことだが、伝票一枚のために電車で往復する時代となったが、これでよかったのだろうか。往復できる時代をありがたく思えばいいのだろうか。